憂鬱カルボナーラ

 ジャニオタ味のパスタ・うつ病でもハッピー。

うつ病ジャニオタ、身の上話。①

今日は自分の身の上について話していこうかなと思います。

今回はジャニオタあるあるの遠征中なので、パソコンが手元になくて、文字の拡大とかのいじりができなくて困ったな!って感じです。スマホからでもHTMLいじればいけるのかな?めんどくさいからいいや笑

でも月〜金書くと決めたからには、ちゃんと遠征中でも書こうね!と自分に言い聞かせてます。三日坊主がすぎる笑

ちなみに遠征は明日までなので、明日もこんな感じの更新です。なので、今日も明日も少し短めに。

わたしは普通の家庭で産まれた。……普通だと思っていた。お父さんは優しくて、お母さんは厳しくて、父方の祖母はわたしに甘い。そんな四人家族。

そうじゃなかったことに気付かされたのは小3の七夕から少しすぎた頃。父が亡くなった。蜘蛛膜下出血だった。

母は、祖母を一人残し、わたしと共に家を出た。祖母と母は折り合いが悪かった。母の血を受け継いだ今なら、折り合いが悪い理由も分かる気がした。性格も、なのだけれど、そもそもにして祖母は新興宗教にハマっていて、自分の息子の死に目に会っていない。本山に御祈祷に行っていたらしい。そんな父親を助けてくれなかった神様に「信仰心が足りなかったからだ」と今でも熱心に信じているから辟易してしまう。母は新興宗教が大嫌いだった。わたしも、苦手だ。やるのは構わないけれど、思想を押し付けないでほしい。……押し付けられるんだな〜これが〜…。

まあ、あと、いま大人になって分かるけれど、死んだ夫の親、という他人と暮らせるわけないよなあ、と思ったりする。

そして母と二人暮らしが始まった。

先に書くのを忘れたけれど、母はわたしを産む前から糖尿病だった。これは母が死んだ後聞いた話だけれど(あっ、母死にます)(ネタバレ)、本来は子供を作ってはいけないと言われていたのに、わたしの父に病気であることを黙って子供を作ったのだという。わたしは、奇形児として産まれてくる可能性さえあって、細かく記録がつけられていた。五体満足で産まれていてよかったねわたし。

母は、父を亡くしてから体調がさらに悪くなった。そして、腎臓病を患い、透析患者になった。

なんかしらんけどいつのまにかペースメーカーも入れてた。もういつだったかなんでだったかわからん。そういえば、彼女の晩年の身体をわたしは『病気の遊園地』と呼んでいた。病気が多すぎて。

そんな中でも、母とは旅行もしたり、たのしく、生活していた。ジャニオタごとにも寛容だったけれど、東京行きすぎて、黙って東京出かけたら『今日はNEWSのコンサートだったでしょ、mixiニュースで見たよ』と言われたりした。懐かしいなmixi。母は愛用者だった。

もうすでに長いのでこの辺で!またあしたに続きます