憂鬱カルボナーラ

 ジャニオタ味のパスタ・うつ病でもハッピー。

うつ病ジャニオタ、身の上話。②

明日に続きました!わたしの身の上②です。これ身バレ心配だな。まあでも、いわゆる『うつ病になったきっかけ』の根本的な部分でもあるので、語らずにもいられないというか。

母の実家は……作り話みたいなことを言うけれど、『ヤ』だった。それを母は父が死ぬまで父に黙っていたし、わたしも母方の祖父の存在を知らずに過ごしていた。母方の祖母は、その当時離婚をしていたので、祖母とはよく会っていた。

後から聞いた話だが、祖父とその弟分が、『帰ってきてほしい、でないと腹を切る』と、祖母が住む安いアパートを探し出して、頭を下げにきたらしい。祖母は、祖父の元に帰った。そしてわたしの祖父はそういう人になった。初めて会ったのは、小学5年生だった。

祖父は会社を経営していた。羽振りのいい人で、地元の鰻や魚をよくご馳走してもらった。お小遣いは5000円だった。そんな祖父が死んだのは高校1年生だった。病気だ。なんの病気かも知らんけど。

そう、そういえば、母の妹もーー叔母も死んだ。子宮ガンだと思って治療していたけれど、スキルス胃がんに気づくのが遅れたせいで彼女のガンは助からなかった。中学3年生のことだ。

叔母はとてもアニメオタクで、元ジャニオタでもあって、彼女の家はそういうグッズで溢れかえっていた。それの片付けに母が困るのを見ながら、母の従姉妹にあたる方、大叔母さんと呼べばいいのだろうか。分からないけれどわたしは「姉ちゃん」と呼んでいる、その人もたまたまオタクだったおかげでそのグッズの処理を二人で全部行った。……オタクは!死ぬ前にちゃんと!!身辺の整理!!しておこ!!!!!困るから!!親族!!!

あとパソコンのパスワードもオタク関連になっててめちゃめちゃ簡単に解けたから、その辺も気をつけたほうがいいよ。

なんでこんなことを書くかっていうと。そう。遺言書。

祖父は書き換えていなかった。自分の娘の部分を。先に死ぬと思っていなかったから。そもそもにして叔母が病床に伏していた時すでに、祖父も病床にいた。

書き換えていなかったせいで、わたしは大変な目に巻き込まれる。

今回はここまで!なまぱすた先生の次回作にご期待ください!笑(待ってる人いるの?)(ほぼジャニオタ関係ない)