憂鬱カルボナーラ

 ジャニオタ味のパスタ・うつ病でもハッピー。

うつ病ジャニオタ、身の上話。③

お待たせしましたなまぱすた先生の次回作です(待ってない)。

今日も身の上③です。書き終わらないな〜明日には書き終わりたい。でもそんなに長くも書きたくない。うーん。

遺言書。彼は一応きっちりした公正遺言証書を残していた。そこはちゃんとした人だった。会社や持っている土地のすべて、きちんと誰に与えるか書き記してあった。わたしの名前もあった。でも、そこにはもちろん叔母の名前があった。つまり、死んでいる叔母のそこは『空白』になってしまったわけだ。

ここで、やって来たのは……えーーーなんてこれ説明していいかわからないな。

祖母と離婚していたあいだ、祖父が結婚していた相手との間に産まれた息子だった。その息子は、祖父と一緒に会社を経営していたけれど、お金を持ち逃げして自分の母と逃げた。そんな男だ。祖父の葬式の最中、みんなが静粛に座っている中突然やってきて、枕元に立ちブツブツと何かをつぶやき去っていった男だと、後から知った。

そんな男は、『遺留分』を請求して来た。そんな『遺留分』を巡って、長い戦いを強いられた。わたしが短大に通っていた頃までやっていたと思う。母はーーというか大抵の人はそういうことに詳しくない。わたしもそうだけれど、父より受け継いだ血で、母よりはすこしばかり頭が良かったわたしは、あまり覚えていないけれど、母に連れ出されよく弁護士の元に向かった。弁護士へとの面会や書類作成も全部わたしがやった。本来は祖母がやるべきことでもあったはずだが、その頃に、祖母はだんだんと認知症を患っていった。

母は、実の母に手を焼いた。施設に入れようと努力もむなしく、身内に『祖母は認知症なんかじゃない』と認めてもらえず、認知症特有の頑固な症状で『わたしはボケてなんかいない、ここから一歩も動かない』と拒否した彼女を施設に入れることは無理だった。彼女から車を奪うのにも本当に苦労した。思い出したくない話だ。

遺留分問題が終わった頃、母の病はさらに悪くなった。今度は心臓が悪くなった。母の入院中のことは、しんどすぎて、脳が拒否しているのかよく覚えていない。(でも、仲は良かったし、決して彼女のことを嫌になったりはしていない)。

入院して丁度一年くらい経った頃、彼女は亡くなった。祖母は認知症だし、なにより、わたしがやりたかったから、誰にも口出させたくなかったから、わたしが喪主で葬儀を全部執り行った。無事済んで良かったな、と思っている。

母が亡くなって少しして、わたしの新しい仕事も決まった。それまでは、ずっと学生時代のバイトを続けていた。時間に融通がきかないととてもやっていられなかったからだ。短大時代、就活をする暇もーーあったような、なかったような。ちょっと、その辺は、後悔もある。

そんなわたしも新しい仕事が決まった。正直、その仕事は辛かった。職場の環境は悪くなくて、人間関係も悪くなくて、みんな優しくて、可愛がってもらったのに、仕事内容が辛くて辛くて仕方なかった。

それと時を同じくして、どんどん祖母の認知症は悪化した。彼女を施設に入れるかで、祖母の妹ともめた。仕事の辛さと相まって、わたしは何度友人に泣きながら電話をしたか分からない。

そして、施設に入れることが決まった後、祖母は死んだ。脳にがんがあったらしい。

そして、わたしは彼女を心底恨むことになる出来事が、おこる。

次回、身の上話最終回!の予定!今回ちょっと長かった!ごめんなさい!誰も面白くないぞこの記事!!!!!!